<作家名> 黒田大祐(Daisuke Kuroda)
<作品名>アリゲーターガーの為の3つのアプローチ/ルアー
<製作年>2017
<素材> バルサ材、ヒートン、アルミ板、ラッカー
<作品説明>
「隠れている彼を誘い出す為には何をするべきか。彼の好きなもので誘い出す。大きな声で率直に問いかける。彼の気持ちになって考える。」 名古屋城のお堀にはアリゲーターガーという外国出身の魚がいる。ガーは北アメリカ出身で、日本では観賞用の魚(熱帯魚?)あるいは釣りの対照(ゲームフィッシュ)として知られており、体長は 最大で2m、寿命は長くて70年、肺で呼吸する生きた化石ともいわれる古代魚だ。(以下ガー)ガーがなぜお堀にいるのか。考えられる可能性は1つ。誰かがお堀に放流したということだ。現在お 堀の水は河川からひかれているのではなく主に工業用水だそうで、このことからお堀へ直接放流されたものと考えて間違いはなさそうだ。 行政を中心に、このお堀のガーを捕獲する取り組みがなされているそうだが、目撃情報は多数あるものの未だに捕まえられていない。「私が釣ります」と言う申し出もあるそうだが、釣り禁止のお堀 ではそれも許されず、また水を抜いて捕まえようという声もあったが、お堀の水を抜くと城の石垣が崩れる可能性があるそうで、刺し網を打つくらいのことしか出来ず、ガーを捕まえるまでには至っ ていない。私はこれらの「お堀のガー」にまつわる話を知るにあたり、ガーを捕獲する為のアプローチを1つの作品として制作することにした。なるべく平和的に、且つガーを尊重しつつ懐柔してみ ようとおもったのだ。私のアプローチは3つ。1つは、ガーを楽しませ、話しかける。2つめは、ガーの好物を並べ誘い出す。3つめはガーの気持ちを知る事で、ガーが現れたときに確実に捕獲出来 るようにする。
1、「ガーを楽しませ、話しかける」
これまでも石やマネキンに問いかけてきた私であるが、対象を未確認の今回はどこにどう問いかけて良いものか照準を合わせる事が出来なかった。こういう時は広域にアプローチしなければなら ないし、その為には大きな声や、自然に耳に入ってくるような言葉やリズムが必要である。私は歌が良いのではないかと考えた。そこで、長者町に拠点に活動しているラップが出来るアーティスト 鈴木君に頼む事にした。彼のひたむきなラップは心を打つものがある。(あまり上手でないという噂もある)彼のラップ(言葉とリズム)であれば、ガーも興味を持って出てくるのではないか。そう考え た。もし出てきたら、、、。その次は、アプローチ2「ガーの好物を並べ誘い出す」ヘ移行する。
2、「ガーの好物を並べ誘い出す」
私は幼い頃、釣り少年であった。 休みともなれば(休みでなくても)昼夜問わず釣りに出かけるいわゆる釣りバカで、その頃は釣りの事しか考えていなかった。この事をありありと思い出させてくれたのは、私が長者町に滞在し始め て間もない頃にひょっこり遊びにきてくれた中学の頃の友人だった。 彼と会うのは中学卒業以来で、およそ20年ぶりの再会であった。共通の友人がどうしているとか、中学の頃の思い出話を話そうとするのだが、鮮明に覚えているのは釣りの事ばかりで、自分が学 校で何をしていたか思い出せない。思い出せるのは授業中に釣り道具を制作していた事くらいだ。ガーの事もあったので、昔の事を思い出しついでに、誘い出したガーを捕獲する為のルアーを 制作する事にした。 ガーは小魚や甲殻類を好んで食べるといわれているが、ガーを狙って釣りをする人のレポートを読むと、ルアーを用いた動きの速い釣りではあまり釣れないらしく、魚の切り身を餌にした待つ釣り で釣るらしい。このことからガーは小魚のような動きの速い生物ではなく、ゆっくり死肉や水底を歩くような水生昆虫や甲殻類を主に補食しているのではないかと私は考えた。この事を踏まえ、甲殻 類の中でもお堀に生息する在来種のスジエビとテナガエビをモチーフに決めた。念のため魚も作る事にしたが、錦鯉やフナのような外来種は避けて、在来種のモツゴをモチーフに決めた。従来 のアメリカのルアーの伝統に倣いつつフォルムやカラーリングを定め、待つ釣りの方が良いようなので全然動かないような構造にした。
3、「3つめはガーの気持ちを知る」
広域に甘い言葉で語りかけ、出てきた所を狙い撃つ!というのは、ちょっと平和的ではない。なるべく平和的に、ガー自ら私の所にやってくるようにできないだろうか。そして仲良くなって他のガー の居場所を教えてくれたりするような事にならないだろうか。その為にはもっともっと彼(彼女?)のことを知らなければならない。そして歌にせよルアーにせよもっともっと心を掴むような方法を考え なければならない。長者町に来てから、毎日ガーの事を考えるようにした。つらいときに何を考えるだろうかとか、故郷を離れて寂しくないだろうかとか、沢山考えた。しかし、きりがなかった。なぜな ら私は魚ではないし、そもそもガーに出会った事も無い。水の中の事は泳ぎが苦手な私には特によくわからなかった。そこで、流行のVR(バーチャルリアリティ)で疑似体験によってガーの事を知る 事は出来ないだろうかと考えた。そういうわけでVRのゲームを作ることにした。しかし、私はプログラムも組めないし、ゲームも作った事が無い。デジタルのモデリングは経験があるので、何とかなりそ うも無いが取り組む事にした。
ルアーについて
少年の頃の私はいわゆる釣り少年で、寝ても覚めても釣りの事ばかり考えて過ごしていました。朝起きて学校へ登校するまでの短い時間でさえも自転車で釣りに出かけたものです。そうした早朝 の短時間の釣りは時間がなく遠出はできないので、近くを流れる由良川という川に行くことがほとんどでした。ある日の朝も(上記の説明の通り)釣りにでかけました。たしか7月の梅雨の明けた頃 だったと思います。瀬に反射する朝日がキラキラとまぶしかったのをよく覚えています。コンクリートで固められた護岸から丸石がごろつく河原へ辿り着いたときに水面ではない何かキラと光るもの を一つ丸石の中に見つけました。それは黄緑色の細長いミノーという小魚を模したルアーでした。ルアーを拾う事はよくあります。状態のよいものはそのまま拝借して使うというの常でした。そのこ ろルアーは1個1000円から1500円と中学生にしては高いものでしたから、拾ったら幸運というものです。しかし、私はあまり嬉しくありませんでした。なぜならそのルアーはどうみても古くさくペンキ のカラーリングとぼってりしてフォルムはあまりに釣れそうになかったからです。私が中学生の頃のルアーというのはおおむね日本製でリアリティを追求した小魚そっくりなものがメインで、その拾った ルアーとは正反対のものでした。なんなら、私の自作のルアーよりも雑かもしれない「それ」をどうしようかと迷いましたが、無くしても惜しくないものなので、今日はこの拾ったルアーで釣ると決めて、 ルアーを糸に結び川に投げました。するとなんと1投目で魚が釣れてしまいました。人もそうですがルアーも見かけによらないもので、「なんだこれはすごい」と興奮したの覚えています。あとから調 べてわかった事ですが、それはBomber社(ボーマー)のロングAというルアーでした。 Bomber社はアメリカの農家のアイク・ウォーカー氏と楽器屋のクラレンス・ダービーによって1946年に設立された釣り具メーカーです。彼らは物資の少ない第2次大戦中の1942年頃から廃品を利 用してルアーを制作していました。初期のルアーは爆弾の形をしており、社名もこれにちなみ爆撃機や爆撃兵を意味するBomberとなっています。Bomberを一躍有名にした爆弾型ルアーは、史上 初のフローターダイバーとされる画期的なものでした。フローターダイバーというのは通常は浮いていて、糸を巻き取るとプレートへの抵抗でルアー自体が潜り、巻くのをやめるとまた浮き上がるとい うもので、Bomberの爆弾型のルアーは、現代では一般的なこの形式のルアーの元祖といえるものです。拾ったルアーを気に入ってしまった私は、すぐにBomberのファンになり、Bomberのルアーを いくつも買い集めました。「ボーマー」とカタカナ読みしていた中学生の私は、それが爆撃機という意味であるとは考えもしませんでした。大人になって釣りからはなれて、この事に気がついたときに は、ちょっと苦い気持ちになりました。戦中に始まった会社であるからなのか、あるいは偶然か故意にかルアーのフォルムが爆弾に近かったからなのか、社名をBomberにするというのは、どんな思 いで決めたのでしょうか。ルアーが爆弾のメタファーであるとしたら、魚は人間であり、川や池は敵国を示すということでしょうか。おそらくはブラックジョークなのだと思いますが、あまりいい気持ちの するものではありません。 この作品のフォルムは長崎に投下された原子爆弾(通称ファットマン)の投下実験として同型で同じ重量のに設計されたパンプキン爆弾をモデルに制作しています。描かれた図像はスジエビとい う、お堀の在来種のエビがモチーフとなっています。
<作家略歴>
1982 京都府福知山市 生まれ 2013 広島市立大学大学院 芸術学研究科 総合造形芸術専攻(彫刻領域) 修了 橋本平八「石に就て」の研究で博士号取得 広島在住。 地形や気候などの物理的環境と歴史などの人間の物語の関係性を手掛かりに、 ビデオ、彫刻、インスタレーションなどを制作している。近年、東アジアの 近代彫刻史に関するリサーチを進め「不在の彫刻史」シリーズを展開してい る。
最近の個展
2017 「不在の彫刻史 (東京、トーキョーアーツアンドスペース本郷) 「西を向いている 東にかたむいている」(高松、高松中央卸売市場) 「アイスアメリカーノ」 (韓国仁川、仁川アートプラットホーム) 「宇部の風、商店街に聞く」 (山口、宇部中央銀天街)
2016 「透明な風景」 (札幌、札幌国際芸術祭SIAFラボプロジェクトルーム) 最近のグループ展 2017 「対馬アートファンタジア」 2011から毎年参加(長崎、対馬市) 「Island」 (広島、旧日本銀行広島支店) 「まちと”synergism”」 (愛知、アートラボあいち長者町) 「リバーズ・エッジ」 (広島、広島芸術センター) 2016 「東アジア文化都市奈良2016 古都祝奈良 ならまちアートプロジェクト」 (奈良、東城戸町会所) 「瀬戸内国際芸術祭2016」 (香川、小豆島旧三都小学校)
2015 「冬のバカンス」 (札幌、さっぽろ天神山アートスタジオ) *国際公募レジデンス成果発表、Weng Nam Yap、Helí Garcíaと3人展 「今はもう存在しない星を美しいと思う理由」 (広島、アートギャラリーミヤウチ)
2014 「ヨコハマトリエンナーレ連携企画 BankART Life4 ー東アジアの夢ー」 (横浜、BankART Studio NYK)